大河ドラマ『光る君へ』花山天皇の出家後、悲惨な運命をたどった藤原義懐

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Last Updated on 03/14/2024 by てんしょく飯

 

今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道兼の謀略により、花山天皇が騙し討ちのような形で出家に追い込まれた。

 

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一条天皇即位

 

その結果、兼家(道兼)の一条天皇即位という悲願が実現し、摂政に就任した。その一方で、花山天皇の後ろ盾だった藤原義懐は悲惨な運命をたどった。

 

改めて振り返っておくと、兼家の娘の詮子は、円融天皇に入内していた。その間に誕生したのが、のちの一条天皇である。しかし、円融天皇が譲位したのは、花山天皇だった。兼家は花山天皇とは姻戚関係になかったので、このままでは栄達の道が閉ざされることになった。

 

一方、花山天皇が即位したことで、叔父の義懐が台頭することになった。義懐はさほど高位ではなかったが、花山天皇に重用され、一気に権中納言に出世した。

 

しかも、義懐は振る舞いが良くなかったので、長老格の公家から嫌われていた。中でも兼家は出世の道が断たれたので、大いに焦っていたのである。

 

そこで、兼家は一条天皇の即位を実現すべく、謀略を巡らすことになった。そのきっかけになったのが、花山天皇の女御だった忯子の病死である。忯子を失い、すっかり意気消沈した花山天皇に対し、出家を強く勧めたのが道兼である。

 

おまけに、道兼は自分も出家するとまで嘘をついたのである。そして、花山天皇と道兼は、夜の闇に紛れて内裏を脱出し、花山寺(元慶寺/京都市山科区)に向かったのである。

 

花山寺に到着すると、花山天皇は出家したが、道兼はいったん家に戻ると言って、出家をしなかった。義懐は花山天皇の失踪のことをすぐに察知できず、その行方を必死になって探した。

 

花山天皇の所在が判明したのは、出家したあとだった。先述のとおり、一条天皇が次の天皇になり、兼家が摂政になったので、義懐は失脚したことを悟ったのである。

 

その後、義懐は、藤原惟成(花山天皇の乳母子)とともに出家した。あとを追うようにして、義懐の息子も出家したという。義懐はそのまま宮仕えすることもできたが、花山天皇が出家したので、そのまま仕官することは見苦しいと考えたようである。

 

そもそも義懐は窮地に追い込まれたので出家したのであり、信心からのものではなかった。とはいえ、周囲の心配にもかかわらず、比叡山(滋賀県大津市)での修行に専念し、無事に往生したという。義懐が亡くなったのは、寛弘5年(1008)のことである。

 

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