【画像アリ】「虎に翼」若島武吉(大臣)役で古谷徹登場。プロフィールや経歴?

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Last Updated on 04/30/2024 by てんしょく飯

 

直言(岡部たかし)ら16人が贈収賄の容疑で逮捕された「共亜事件」は世間の注目を集めている。

 

その逮捕者の中に、若島武吉(大臣)役を演じる古谷徹登場。

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さて、若島武吉(大臣)役を演じる古谷徹を紹介します。

 

この記事でわかること。

  • 古谷徹のプロフィール
  • 古谷徹の過去の主な出演作品

 

古谷徹のプロフィール

  • 生年月日          1943年7月5日(80歳)
  • 出生地              東京都
  • 血液型              AB型
  • 職業                 俳優
  • 活動期間          1961年 – 1968年

   2008年 –

  • 事務所             シンビンプロモーション

 

経歴

  • 旧東京市麻布区(現・東京都港区西麻布)で、建具屋を営む家の五男として生まれた。
  • 東宝演劇学校卒業後の1960年、東宝撮影所に第15期ニューフェースで入社。同期には二瓶正也らがいた。幾つかの作品に端役として出演し、1962年(昭和37年)に東宝映画『吼えろ脱獄囚』(福田純監督)で正式に役者デビューする。当初は、いわゆる大部屋俳優の一人だった。なお、当時の東宝は日活や大映とライバルだったため、それらが所在する調布市には行くなと東宝の連中から言われていたが、深大寺の蕎麦は食べに行ったという。

 

  • 1965年(昭和40年)、東宝本社の指示で業務提携下の円谷プロダクションへ出向。特撮テレビ番組『ウルトラQ』(TBS)へのゲスト出演が、円谷プロ作品とテレビ作品へのデビューだった。顔出しの役だけでなく、当時は「ぬいぐるみ役者」などと称されていた着ぐるみに入るスーツアクターを務めたが、ケムール人役は身長181センチメートルで痩せていて8頭身という体形からオファーされた。「こんなのに入るのは嫌だ」と渋ったが、撮影まで時間がないと頼まれて引き受けた。

 

  • 1966年(昭和41年)、『ウルトラQ』の次回作として7月から放送開始した円谷プロの『ウルトラマン』(TBS)で、ウルトラマンのスーツアクターとして出演した。前作のケムール人やラゴンの役は苦しかった思い出しかなく気乗りしなかったが、ウルトラマンのデザインを務める成田亨から自宅に電話があり、想定している手足の長さや頭の小ささが「ビン(敏)さんじゃなくては駄目なんだ」と懇願されて承諾する。東京の新宿にあるウェットスーツ店で採寸し、翌日には佐々木明のアトリエにて石膏でマスクを型取りした。

 

  • 1967年(昭和42年)、ウルトラシリーズの次回作『ウルトラセブン』(TBS)では、「顔の見える役」としてアマギ隊員役に抜擢される。前作の科学特捜隊の制服を羨ましく思っていただけに顔を出せることが嬉しく、「テレビを見てね」と実家や親戚に電話した。かつてのスーツアクターとしてウルトラセブンの動きにも関心が向き、時代劇の殺陣で経験を積んだ上西弘次の演技を、力強く重みがあり、武士のようだと感じたと回想している。

 

  • 『ウルトラセブン』放映開始から1か月あまりが過ぎたころ、共演していた毒蝮三太夫とボウリングを楽しんだ後に話していた折、演技に精彩がないと指摘された。これは、週刊誌に「アマギ隊員役への抜擢は『ウルトラマン』でのスーツアクター役への慰労」と書かれたことに、俳優として評価されたわけではないと落ち込んでいたためであった。毒蝮から、「ウルトラマンとしての演技に感動したファンを裏切ってはいけない」と諭され、以後は発奮して知的でスマートなアマギ隊員の役どころを確立した。

 

  • 『ウルトラセブン』放映終了から1か月後の1968年(昭和43年)10月、怪獣アトラクションショーやサイン会の主催会社「ビンプロモーション」を設立。「アマギ隊員」役で司会をこなし、全国を興行する。1971年(昭和46年)には「株式会社ビンプロモーション」として法人化し、代表取締役社長に就任した。

 

  • 1972年(昭和47年)、毒蝮夫妻に仲人を依頼して結婚し、一男一女をもうける。第二次怪獣ブームのなか、各地で怪獣ショーを催し、舞台中継番組『突撃! ヒューマン!!』(日本テレビ、ユニオン映画)では劇中アクションを担当し、番組終了後も同作品のキャラクター興行を手掛けた。

 

  • 怪獣ショーはスーパーマーケットの出店ラッシュ時には客寄せのために好調で、3億円から4億円もの年商があったが、1980年代に入ると集客力が落ち、1991年(平成3年)にビンプロモーションを解散して負債を抱える。他人に迷惑をかけたという申し訳なさから知人と連絡を絶ち、特撮番組で活躍した経歴を伏せてビル清掃会社で働いた。表舞台から姿を消したため、一時は消息不明として扱われ、死亡説なども伝えられた。

 

  • 2007年(平成19年)、当時はすでに故人となっていた成田の原画展を伝える新聞記事を見て会場を訪ね、来場者名簿に記入して帰ると、彼の妻から「ビンさんが来てくれるなんて」と涙声で電話がかかってきた。それがきっかけで数週間後、『ウルトラセブン』でアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子から「ずっと捜していた」と連絡が入り、『ウルトラマン』でフジ・アキコ隊員を演じた桜井浩子ら円谷プロ時代の関係者との連絡を再び取り合うようになる。それまで「ウルトラシリーズ」など出演作の再映を除き、本人があえて距離を置いていたため、長らくマスコミへの露出は無かったが、11月にひし美のブログで古谷の元気な姿が紹介された。

 

  • 2008年(平成20年)、CS局ファミリー劇場で放送された『ウルトラセブン超百科』にナビゲーターとして出演。また、同年には劇場映画『ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発』(松竹)で俳優として復帰した。

 

  • 2009年(平成21年)12月21日、初の自叙伝『ウルトラマンになった男』(小学館)を上梓し、これまで語られなかった『ウルトラマン』での苦労や思い、撮影の裏話などを初めて明かした。

 

  • 2013年(平成23年)10月18日、『ウルトラマン HD Remaster2.0 Blu-ray BOX II』の発売を記念して六本木ヒルズで行われたイベントに『ウルトラマン』で共演した黒部進や桜井と共に出席し、自身は47年ぶりにウルトラマンのスーツを着て登場した。

 

  • 2022年(令和4年)1月、YouTubeチャンネル『古谷敏の夢道TV』を開設。『ウルトラマン』の撮影秘話やエピソードなどのトークを繰り広げている。

 

過去の主な出演作品

 

ウルトラシリーズ ウルトラセブン(1967年 – 1968年、円谷プロ / TBS) – アマギ隊員(レギュラー)

 

1967年(昭和42年)10月1日から1968年(昭和43年)9月8日まで、TBS系で毎週日曜19:00 – 19:30(タケダアワー枠)に全49話が放送された、円谷プロダクション・TBS制作の特撮テレビドラマ『ウルトラセブン』アマギ隊員を演じた。

 

映画 ネズラ1964(2021年、横川寛人監督) – オヤジ

 

2021年1月16日に公開された日本のノンフィクション映画『ネズラ1964』(監督、横川寛人) オヤジ役を演じた。

 

 

チャンス 第4話「夢と欲望の彼方」(2010年、NHK)

 

2010年8月28日から10月2日までNHK総合テレビ「土曜ドラマ」枠で放送された連続テレビドラマ『チャンス』出演。

 

旧東京市麻布区(現・東京都港区西麻布)で、建具屋を営む家の五男として生まれた。

 

 

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