『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子のヒット曲を「前座で歌わせて」と頼んできた少女歌手は…「昭和の歌姫」と「ブギの女王」の初対面エピソード

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Last Updated on 03/11/2024 by てんしょく飯

 

NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。その主人公のモデルである昭和の大スター・笠置シヅ子について、「歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて<ブギの女王>として一世を風靡していく」と語るのは、娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さん。佐藤さんいわく「ある少女歌手とその母親が挨拶に来て、前座でシヅ子のヒット曲を歌わせて欲しいと頼んできた」そうで――。

 

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◆セコハン娘

 

「東京ブギウギ」の直前、1947(昭和22)年11月に笠置シヅ子がリリースした「セコハン娘」(作詞・結城雄二郎)は、ブルース・シンガーとしてのシヅ子の確かな歌唱が堪能できる。

 

哀調を帯びたイントロ。着物もドレスも、ハンドバッグもハイヒールも、なにもかも姉さんのお古ばかり。やっとみつけた愛しい恋人も、姉のお古。全くやりきれない。しかも彼女はお母さんの連れ子だから、大事なお父さんも2度目のお父さん。だから私は「セコハン娘」という内容。

 

マイナーコードのブルースのスタイルで、この切ないヒロインの状況が切々と謳われる。歌詞はナンセンスなノヴェルティ・ソングだが、セコハン=Second Hands(中古品)というフレーズが、世相を反映している。

 

敗戦後2年、あらゆる物資も不足していた。必要なものは全く手に入らない。運よく出物があっても、使い古したセコハンか、米軍の払い下げ品。

 

敗戦で日本は連合国の支配下に置かれており、平和と自由を謳歌しているが、それもマッカーサーから与えられたもの、という意識も強かった。

 

そうした庶民の感覚を、服部良一のブルースがカリカチュア。のちに作家として「昔々の宝塚歌劇」(77年・甲陽書房)などを上梓する結城雄二郎による詞は、明らかにパロディなのだが、服部のアレンジ、哀調を帯びたシヅ子のヴォーカルが、時代の「やるせなさ」を醸し出して、まさに悲歌=エレジーとして不思議な味わいがある。

 

3番がまた切ない。いつになったらお嫁に行けるのか、それともセコハン娘のまま終わるのか。もしも、結婚したとしても2度目の花嫁と人に指さされるだろう。なんとも自虐的である。そして曲全体のオチとして、ヒロインが胸を張って言えること。ただ一つだけ、セコハンではないものがある。それは「乙女の純潔」。神様だけがご存じなの、と。

 

◆ブギウギ娘

 

市川崑の映画『果しなき情熱』(49年・新東宝)でシヅ子が「セコハン娘」を唄うシーンがある。キャバレーで楽団クラック・スターの演奏をバックに、ポーカーフェイスのシヅ子が、無表情に切々と歌い上げる。

 

この頃、シヅ子はステージの振り付けを自分で考えることが多かったが、ここでもユニークな振り付けが楽しめる。歌詞に合わせて、無表情からニコやかで嬉しそうな顔となり、それが一転、悲しみを湛える。一曲のうち表情も動きも目まぐるしいのだが、歌詞の内容とリンクして不思議な説得力がある。

 

この『果しなき情熱』は、服部良一をモデルにした野心家の作曲家・堀雄二が、戦後、創作上のスランプに陥り苦悩する。物語や主人公のキャラクターはほとんど創作だが、淡谷のり子「雨のブルース」、山口淑子(李香蘭)「蘇州夜曲」とオリジナル歌手をゲストにした服部ソングブック映画でもある。

 

ここでシヅ子は、淡谷のり子が戦前歌った「私のトランペット」を唄い、ラストに新曲「ブギウギ娘」(作詞・村雨まさを)を熱唱する。

 

◆美空ひばりとの出会い

 

さて「セコハン娘」が発売されて約1年後、1948(昭和23年)10月、シヅ子は横浜国際劇場「秋の国際まつり」のステージに立った。

 

楽屋へ前座をつとめる少女歌手とその母親が挨拶に来て、服部とシヅ子に、前座で新曲の「セコハン娘」を歌わせて欲しいと頼んできた。

 

少女は横浜出身で地元では歌が上手いと評判のまだ10歳の小学生。名前は美空和枝。のちの美空ひばりである。

 

服部は、シヅ子が「セコハン娘」を歌う予定なので、他の曲にして欲しいと答えた。そこで少女は、菊池章子の「星の流れに」(作詞・清水みのる、作曲・利根一郎)を歌った。

 

「星の流れに」は、敗戦後、生活のために街角に立っていた街娼のやるせない気持ちを描いて、大ヒットしていた。最後の「こんな女に…」というフレーズは、敗戦後の混乱は誰がもたらしたのか、という怒りに満ちたメッセージでもあった。

 

これがシヅ子とのちの美空ひばりの初対面のエピソードである。

 

◆「“大人”を食ってしまった」

 

その後、美空ひばりは、1949(昭和24年)1月、日劇「ラヴ・パレード」十二景(演出・白井鐡造)で、灰田勝彦、橘薫、暁テル子たちとともにステージに立った。

 

この時のことを「日劇レビュー史」(77年・三一書房)で、著者の橋本与志夫は「灰田勝彦を中心に三つの恋を並べた構成だが、笠置ばりで『東京ブギウギ』を歌う“ベビー歌手”美空ひばりが“大人”を食ってしまった」と書いている。

 

さて、しばらくしてひばりは、喜劇の神様・齋藤寅次郎に抜擢され映画『のど自慢狂時代』(49年3月28日・東横)に出演。「セコハン娘」を大人びた表情で歌って観客を驚かせた。

 

続く寅次郎の『新東京音頭 びっくり五人男』(6月7日・吉本プロ=新東宝)でひばりは「ジャングル・ブギー」の替え歌パロディを、川田のギター伴奏で歌った。

 

当時、ひばりはまだレコードデビュー前で、持ち歌がなく、誰よりも好きで敬愛する笠置シヅ子の歌をレパートリーにしていた。

 

 

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