写真家・篠山紀信さん死去、83歳 「週刊朝日」や「激写」シリーズ

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Last Updated on 01/05/2024 by てんしょく飯

 

三島由紀夫さんやジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻、山口百恵さんら、60年以上にわたって時代を象徴する人物やものごとを撮影し、「激写」シリーズなどで知られる写真家・篠山紀信(しのやま・きしん、本名・紀信=みちのぶ)さんが1月4日、亡くなった。83歳だった。妻は元歌手の南沙織さん、次男はタレントの篠山輝信(あきのぶ)さん。

 

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篠山 紀信

 

  • (しのやま きしん、1940年〈昭和15年〉12月3日 – 2024年〈令和6年〉1月4日)は、日本の写真家。東京市淀橋区柏木(現:東京都新宿区北新宿)出身。本名は紀信(みちのぶ)。

 

人物・来歴

 

  • 東京都新宿区にある真言宗豊山派円照寺の住職・篠山明信の次男。1944年、4歳の時、父が戦死。新宿区立淀橋第四小学校を経て、私立芝中学校・高等学校に入学。高校時代まで生家の円照寺で過ごす。

 

  • 特に写真が好きではなかったが、一般大学の受験に失敗したため、衝動的に日本大学芸術学部写真学科に出願し入学。日大での同期に写真家沢渡朔がいる。

 

  • 写真学科に入った以上は写真家になろうと決心し、日大と併行して東京綜合写真専門学校にも通学。在学中より新進写真家として頭角を現す。東京綜合写真専門学校を2年で卒業した後、日大在学中の1961年に広告写真家協会展APA賞を受賞し、ライトパブリシティに就職。この面接にあたりハッタリをかますため当時非常に高価だったハッセルブラッド500Cとリンホフを両肩に提げて持参したという逸話がある。

 

  • 1966年に東京国立近代美術館の「現代写真の10人」展に最年少で参加。1976年にはヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館に代表作家として選ばれる。初期の作品には『Death Valley』『Twins』『Nude』など傑作が多い。ジョン・レノンの生前のラストアルバム『ダブル・ファンタジー』のジャケット撮影は篠山の作品である。

 

  • その作品数の多さ、ジャンルの多様さはヌードから歌舞伎まで他の写真家を遥かに凌ぐ。1973年、デビューからのキャロルを激写し、キャロル売り出しに貢献。同年『女形・玉三郎展』で芸術選奨新人賞受賞。1975年に雑誌『GORO』で歌手の山口百恵特集で使い始めた「激写」は流行語になり、その後の中森明菜ら芸能人や素人をモデルにした一連の激写シリーズで知られるようになる。この年発売された大判写真集『家』と『晴れた日』は初期の代表作である。

 

  • 『家』では、北海道から沖縄まで、日本列島約80カ所にのぼる「日本の家」の様々な様相が記録され、北海道、岩手県遠野市の古民家をはじめとし、赤坂の迎賓館、台東区上野の古銭湯、横尾忠則がかつて住んでいた家、高輪の郷ひろみ邸、新宿のアパート、北九州の筑豊炭鉱、 沖縄県竹富島、長崎県軍艦島の廃墟や、廃墟となった家などが収められた。また、生家や4歳の時に1年弱疎開した埼玉の秩父にも30年余ぶりに母と連れ立って出掛け、幼少期の記憶の撮影が行われた。これは、篠山にとって「写真」というメディアを再確認する行為であったようで、「懐かしさや個人的思い入れはあったとしても、それらは「写真」にあらわされるものではないし、その思いも見る者に伝わることはない。「私的」なことを表現したければ、「文学」でやればいいのだ」と篠山は語っている。翌1976年には、評論家多木浩二によって著されたテキスト『生きられた家』が単行本として刊行された。

 

  • 1978年に写真集『大激写 135人の女ともだち』がベストセラーになったのが端緒で、1980年には篠山をメインにした写真雑誌『写楽』が創刊された。

 

  • 赤塚不二夫の『天才バカボン』では篠山をモデルにした(とはいってもそう名乗ることとカメラを持っていること以外に外見はこれっぽっちも似ていない。見た目は完全に小学生である)カメラ小僧「篠山紀信君」として登場し、つむじ風を巻き起こしながらどこにでも現れて、決定的瞬間を撮る人物とされている。『魔法の妖精ペルシャ』では篠川紀信という常にカメラを持ち歩くキャラクターがいる。

 

  • 1978年から1997年にかけては『週刊朝日』の表紙写真を撮影。1980年に始まった『週刊朝日』表紙の女子大生シリーズからは、何人もの女優や女子アナウンサーを輩出している。その他にも『週刊現代』の表紙写真や、月刊テレビ情報誌『L.T.』の表紙、及び巻頭グラビアを毎号担当。『B.L.T.』では被写体のヌードはないが、寝そべって、胸の谷間を見せるポーズなど他の雑誌よりは露出度が高いグラビアを撮影している。

 

  • デジタルカメラを用いて撮影した場合は、「シノヤマキシン」(2000年頃)「しのやまきしん」「digi_KISHIN」(2003年頃)と言う別名義を使用する時もある。

 

  • 女性を被写体とした多数のヌード写真を撮影している。1969年にカメラマンの沢渡朔、林宏樹らと全日本恥毛露出連盟ことゼンチロレンを結成して会長に就任。1991年には女優の樋口可南子をモデルにした写真集「Water Fruit 不測の事態」で事実上、陰毛を解禁させ、続けて同年に出版した当時トップアイドルだった宮沢りえのヌード写真集「Santa Fe」は新聞に出した全面広告が評判を呼び、ヘアヌード(篠山自身はこの単語を「大嫌いだ」と公言している)ブームを巻き起こした。「Santa Fe」はその年のベストセラー7位、「Water Fruit 不測の事態」は10位の記録を残している。

 

  • 撮影したヌード写真については、女性の事務所サイドから写真の使用を止められた場合ネガを持ち帰り、自宅で保管する。後にその女性が、芸能界でいわゆる、「落ち目」になったときに、秘蔵ヌードが見つかったことにして『今のヌード』と『昔のネガ』を持ち出し、その二つを一冊の写真集にして発売することがある(例:水沢アキ、杉田かおる)。

 

  • 篠山の写真のテーマや表現手法は多岐にわたっており、篠山自身「僕は60年ずっと、休みなく写真を撮り続けているし、写真のタイプも表現方法もテクニックも、テーマごとで全部違う」と述べている。

 

  • 2020年10月13日、第68回菊池寛賞を受賞。

 

  • 私生活では、モデルと離婚後、アイドル歌手の南沙織と再婚。俳優の篠山輝信は次男。

 

  • 2024年1月4日、東京都内の病院で死去。83歳没。

 

 

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