Last Updated on 12/01/2024 by てんしょく飯
2024年衝撃的な不祥事により大谷翔平選手は通訳を失った。ドジャースは急遽ウィル・アイアトン氏に通訳を任せ無事今シーズン終了となった。
しかし、2025年シーズンは新たに通訳を選ばなければならない。そこで持ち上がった『グレース・マクナミー』さん。これらのことについて紹介します。
2024年シーズンは事件により急遽通訳を選んだドジャース、シーズン途中で通訳交代は困難だった。
ご存知の通り、2024年シーズン大谷翔平選手の通訳は不祥事により前任者・水原一平を解雇しウィル・アイアトン氏に通訳を任せた。
ウィル・アイアトンさんは、大谷翔平選手の通訳を担う以前にはドジャースのパフォーマンス・オペレーション主任としてチームに帯同しデータ分析の担当を2022年から行っていた。NPBに比べよりデータ収集および分析技術が進んでいるMLBなのでウィル・アイアトンさんの通訳業務は一時的な担当と考えられていたが、シーズン終了まで担った。
やはり通訳業務は大谷翔平選手と監督始め各選手およびドジャース職員等だけでなくマスコミ対応という重要な役割がありシーズン途中でウィル・アイアトンさんをドジャースでの本業に戻し新たに通訳を任ずるのは困難だったのでしょう。
とはいってもウィル・アイアトンさんをドジャース内本業に戻さない訳にはいかないので2024年シーズン中より新たに大谷翔平選手の通訳を模索していた。
2025年シーズンから大谷翔平選手に専属通訳を選ぶ
ドジャースが2025年シーズンからの大谷翔平選手の通訳を探している中で最有力候補となったのが、グレース・マクナミーさん。
グレース・マクナミーが来シーズンから大谷翔平選手の通訳になれば、ウィル・アイアトンさんを元のデータ分析の担当に戻すことができます。
グレース・マクナミーを大谷翔平の新たな通訳として選ぶ理由?
2018年からエンゼルスの広報として働き、大谷翔平選手と親交があります。
この2018年からグレース・マクナミーがエンゼルスで働いているのは、
「大谷選手がエンゼルスと契約したことを知り、グレースさんから球団に連絡を取ったようです。二刀流でのメジャー挑戦ということで、多くの日本メディアが取材に来ると考えたエンゼルスは採用を決定。グレースさんも家族の理解を得て再び野球の現場に戻ると、日本のメディアと球団や大谷選手の間に入る調整役を担っていました。記者たちに丁寧に接する一方で、選手に関して余計なことは話さない。かなり有能で、選手からもメディアからも信頼されている人です」
「彼女は球団と1年ごとの契約です。エンゼルスは大谷選手が移籍したため、日本のメディアが来ることもほとんどなくなり、契約を延長するかは不透明。シーズンの終盤から大谷選手と一緒にいる姿をよく見かけるので、もしかしたら来年はドジャースが雇うか、そうでないにしても大谷選手と個人的に契約して、サポートするということも十分に考えられます。
大谷夫妻としても、本来なら元通訳の水原一平氏とその妻に公私の手助けを期待していたかもしれないですが、一連の事件でそれはかなわない状況に。グレースさんなら信用できますし、これ以上ない人物でしょう」
その経歴は?
1972 年、ロサンゼルス生まれ。University of California, Irvine校在学中の1995年、野茂英雄投手が加入したロサンゼルス・ドジャースに広報インターンとして採用され、野茂選手関連の広報を手掛け、シーズン終了後に正社員として採用される。
1999年に株式会社スクウェア社傘下のスクウェア・ピクチャーズ社に転職し、ゲーム「ファイナル ファンタジー」の映画版「Final Fantasy: The Spirits Within」の広報、マーケテイング、プロモーションを、アメリカでの配給元ソニー・ピクチャーズと協力して行う。
2018年、ロサンゼルス・エンゼルスに大谷翔平選手が入団したのを機に、エンゼルスの広報部に採用され、主に国際メディア対応とコミュニティーPRを担当中。
今から約30年前、あなたは何をしていただろうか。グレース・マクナミーさん(52)は、大学生でありながら突如ドジャース広報部のインターンとなった。
1995年の春。野茂英雄さんの大リーグ移籍によって、人生の歯車が思わぬ方法に動きだした一人だ。
両親は日本人で、総合商社マンだった父の勤務先ロサンゼルスで生まれ育ったが、9歳から14歳まで愛知県と神奈川県で過ごした完全バイリンガル。身長152センチと小柄ながら、ヒールを履いて力強く広い球場を闊歩している姿は頼もしい。
約30年前の出来事、
「ドジャースに近しい知り合いから電話があって『ドジャースが日本人の投手を連れてくる。グレースは野球好きだし、ドジャース好きだし、通訳にならないか?』って。あの時はストライキの後の年でスプリングトレーニングが遅れたんですけど、大学の授業がまだあったし、当時インターネットもないので、長期間大学を離れるのは難しいのでって断ったんですね。そしたら広報でインターンを探しているから、それはどうだっていうことになって…」
こうして(おそらく)大リーグ初の日本人広報(インターン)が誕生した。しかも大学生。社会人経験ゼロ。日本から米国も大リーグも初めての報道陣が大挙して押し寄せる中、野茂さんはセンセーショナルなほどに活躍し、社会現象とも言える大フィーバーを巻き起こした。
「全球団で(日本人は)私だけでした。ナ・リーグのオフィスの広報からよく電話がかかってきて。ドジャースが遠征先に行く時のメディア対応とか、ダラスのオールスターに出場した時のメディア対応なども…」
今の3倍近くの数の日本メディアが、一人の選手を追いかけた時代だ。しかもファクス時代。仕事で使う日本語を見よう見まねで覚えながら対応したというが、今の新社会人で「拝啓」を使ったファクスの書き方をインターネット検索なしで書ける人が何人いるだろうか。
聞いているだけでも大変そうで、何度も目を丸くしたが、グレースさんは「あはははは」とたくさん笑い「手探りみたいな感じでしたが、すごくいい上司とオーナーに恵まれました」と懐かしそうに目を細めた。
「私自身が大変だったというよりも、日本から来ていた大勢のメディアの皆さんの方が大変だったんじゃないかなって思います。初めての大リーグで、そのころはケータイもEメールもそんなに普及していなかったので。そういうメディアの方たちのお世話をする、より仕事がしやすい環境をつくり上げていくというのが球団と私の希望だったので、そこらへんが少し大変でした。すべての方たちの初めてだったので」
インターネットのある今でさえ、遠征先のホテル決めやレンタカーの手配など、治安や距離感がつかめるまで大変であり、慣れた今でも面倒くさい。日本にたくさんの野茂さんニュースを届けてくれた先輩方の苦労を思い浮かべ、胸が熱くなる。
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